こんにちは。
資格取得講師の倉まり子です。
今回は
私の出生時のことについて
お伝えしていこうと思います。
3ヶ月早い誕生
私は3月生まれですが
本当は6月に
生まれる予定でした。
しかし諸事情で
3ヶ月早く生まなきゃいけなくなり
急遽「陣痛促進剤」を使っての
出産になったそうです。
それだけ早く生まれたので
私の生まれた時の体重は
855グラムでした。
両親からは
片手に乗るくらいの大きさだった
と聞きました。
極小未熟児として生まれたため
生まれたすぐに
保育器に入り
NICUに入院していました。
1滴の半分のミルク、呼吸を忘れる日々
自分でミルクを飲む力が
ないため
管を通し
ミルクを摂取していました。
看護師と母がやり取りをする
交換日記のようなもの
「まりちゃん頑張れノート」
というものがあり
実家で私も
読んだことがあります。
そこに記載されていたものは
「まりちゃん今日ミルク
1滴の半分飲みました」
というもの。
1滴の半分が
どのくらいなのか
少なすぎて全く分かりません… 笑
また
自分で呼吸をすることを
忘れることもあったそうで
呼吸を忘れている時は
センサーのようなものが
反応する仕組みになっており
赤いランプが
何度も点滅していたそうです。
そのたびに
看護師の方々が
少し揺らすなどして
呼吸を促していた
と聞きました。
大人になった今では
呼吸を忘れるって何事!?
と思いますが
よくあるみたいです。
退院する時
両親は何か言われるだろうと
覚悟をしていたそうですが
医師からは特に問題はないです。
これだけ小さく生まれたのに
何もないのは奇跡です
と言われたそうです。
兄の存在
私の兄弟構成は
姉が1人います。
しかし本当は
姉・兄・私
になるはずでした。
私の前に
兄が生まれる予定だったのですが
残念な結果になった
というのを幼少期の時
母から聞いたことがあります。
学生時代や社会人になって
辛い時や嫌なことがあった時
いつも
思っていたことが
ありました。
極小未熟児のまま
そのまま手術などしなくて
良かったのに。
私ではなく
兄が生まれて生きたら
良かったのに。
そう思っていたことが
ありました。
無理に命を繋げなくても
良かったのに、と。
今も忘れない言葉
ある時
この話を
友達にしたことがありました。
その時に言われた言葉が
私はずっと響いています。
「まりちゃんは
2つの命を持っているんだよ。
お兄さんとまりちゃんの分。
だから大切にしないといけないよ」
という言葉。
この言葉のお陰で
私は生きなきゃいけない
と思うようになりました。
やはり
誰かの言葉が
1番刺さります。
まとめ
父から
「まりこは何かしなければいけないことが
あるんだよ」
「だから生き抜いたんだよ」
と言われたことが
あります。
父の言葉や友達の言葉で
私は自分の使命を
全うしなければいけない
と改めて
思うようになりました。
今の自分が掲げている使命が
あっているかなんて
分かりません。
しかし
これからも自分の信じた道を
進み続けていこうと思います。
今回の内容も
YouTube動画で
ご覧いただけます。
是非
合わせてチェックしてみてください。
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