その他

わたし

こんばんは。

資格取得講師の倉まり子です。

 

 

今回は

私について書いていこうと思います。

 

 

プロフィールのところにも

色々書いていますが

そこに付け加える形になります。

 

 

まずは幼少期から。

 

 

 

私が幼稚園に入園したのは4歳。

年中からでした。

 

 

とにかくご飯を食べるのが遅く

(今もですが…)

毎朝、母親に急かされていました。

 

 

 

たまにあった

幼稚園でのお弁当タイムでも

一番最後。

 

 

ボーっと外を見ながら

食べていたそうです。

 

 

「急ぐ」という概念が

あの頃の私は

なかったのでしょう 笑

 

 

傘の畳み方が分からず

雨の日に

 

 

 

キティーちゃんの白い傘を持って

母親から畳み方を

幼稚園の玄関で習った記憶があります。

 

 

 

ちょっとアホな子どもだったみたいで

なぜか、ほぼ毎回

靴を左右逆に履いていたそうです。

 

 

 

父親が正しく揃えても

なぜか、わざわざ逆に置き直し

履いていたらしく…謎ですね 笑

 

 

そんなこんなで

幼稚園卒園。

 

 

小学校入学。

 

 

 

入学式の日に小学校の玄関前の坂で

調子に乗って走り転んで

父親に怒られ泣きながら写った写真があります…。

 

 

小1の最初のカラーテストは0点

という衝撃のテストデビューを果たしました。

 

 

恐らくテストとは何かが

全く分かっていなかったのでしょう 笑

 

 

 

答えを書く

というのが分からず

お絵描きをしていたそうです。

 

 

 

我ながら凄いな

と思います…。

 

 

小学校中学年になると

体育に目覚め始め

運動大好き少女になっていました。

 

 

昼休みには

毎日鉄棒やサッカーをしたり

とにかく運動をよくしていました。

 

 

運動会ではリレー選手に選ばれ

クラス対抗リレーなどに

よく出ていた記憶があります。

 

 

 

小学校高学年になると

少しずつ勉強を頑張るようになり

勉強を楽しいと思えるようになってきました。

 

 

 

そして中学入学。

 

 

 

公文を習っていたからか

数学と英語は得意でした。

 

 

 

その他の科目は

中々の絶望的な成績でした…。

 

 

 

体育は変わらず好きでしたが 笑

 

 

 

反抗期に突入し

色々なことがありました。

 

 

 

中3からは気持ちを新たに

また勉学に励んでいました。

 

 

 

そして高校へ。

 

 

 

高校生の時に臨床心理士を目指そうと思い

高2になる直前に理系から文系に変えました。

 

 

両親からは反対されましたが

私は今でも全く悔いはないです。

 

 

 

大学は指定校推薦でしたが

元々指定校を受ける予定はありませんでした。

 

 

 

関西の大学を目指していましたが

高3の当時の担任から

 

 

 

ちょっと指定校受けてみては?

と突然提案され

東京の大学を5校ほどピックアップされました。

 

 

 

校内職員会議の3日前に言われたもので

早急に決める必要がありました。

 

 

 

もちろんオープンキャンパスなど行けず

情報は全てネットから。

 

 

地元の福岡を出たい気持ちがあり

親から福岡を出るなら寮のある大学

という条件があったので

 

 

寮のある大学で

私の興味のある心理学が学べるところ

 

 

 

母校の

「聖心女子大学」に決めました。

 

 

 

最初は

この大学で良かったのか不安でしたが

そんな不安も入学してすぐに消えました。

 

 

 

素敵な友達や後輩に出会えたし

大学時代の思い出は

今でも宝物です。

 

 

 

大学時代を謳歌していましたが

プロフィールにも書いてある通り

大学4年次に人生が転落しました。

 

 

そこからは

私にとっては

どん底の毎日でした。

 

 

周りが内定が次々に出ていき

大学院合格が決まる中

私は何もありませんでした。

 

 

 

就活に失敗し

大学院受験にも失敗。

 

 

 

大学卒業時に

廊下で並んでいた時の

前にいた子達の

 

 

 

「私、〇〇銀行(メガバンク)に行くの。」

「私は、〇〇証券(大手)だよ」

 

 

 

という楽しそうな会話に入っていけない自分。

私に話が振られたらどうしよう

と思う不安と恥ずかしさ。

 

 

 

早く式が終わって欲しい

ただそれだけを考えていました。

 

 

福岡に帰ってからも

履歴書を持って就活する日々。

ハローワークに行って仕事を探す日々。

 

 

 

自分のプライドも全て捨てて

やっていました。

 

 

しかし

それでも何も得られませんでした。

 

 

 

バイトも採用されない。

内定さえもらえない。

 

 

私って何なんだ。

私に問題があるのか。

私は社会から必要とされていない。

 

 

そう思う毎日で

遺書を書き

明日死のうと思いながら生きていました。

 

 

 

何で生きているのか

何で生まれたのか

未熟児のまま死ねば良かった

生まれたことを憎んでいました。

 

 

 

そう思いながら過ごす日々の中で

このままじゃダメだと思う自分も

頭の片隅にいました。

 

 

 

マイナス思考が支配している中で

1%の変わりたいという思考が

 

 

 

立ち上がることを

ずっと叫んでいたのでしょう。

 

 

当時の私は

何が出来るか分からない。

何をしたら良いか分かりませんでした。

 

 

 

社会に弾かれ

周りから嘲笑われ

 

 

 

惨めな思いばかりしてきた自分は

何を目指したら良いのか。

 

 

そう考えた時に

ふと私が臨床心理士を目指した理由を思い出しました。

 

 

子どもを助けたい。

虐待されている子どもや

心に傷を負っている子どもを助けたい。

 

 

だから大学時代でも

発達心理学のゼミに所属し

子どもについての研究をしていました。

 

 

「子どもに関わる仕事がしたい」

私の頭をよぎったものでした。

 

 

 

子どもに関わる仕事は何かを

徹底的に調べ

色々な資格があることが分かりました。

 

 

今から学校に行くのも

お金と時間がかかる。

もっと手っ取り早く結果を出せないか。

 

 

そう思った時に

閃いたのが「資格を取ること」でした。

 

 

今まで

何1つ自分の力で結果を出してきたことがなかった私は

自分を試してみたいと思いました。

 

 

「あなたの今後のご活躍をお祈りしています」

 

 

 

嫌というほど見てきた

通称お祈りメール。

 

 

色々言われてきた言葉。

 

 

それを思い出しながら

見返してやろうと思い始めました。

 

 

自力で結果を出すには

誰にも頼っちゃいけない。

独学で資格を取ろう。

 

 

そう思い

「保育士」受験を決めました。

 

 

「大学卒業して保育士?」

「保育士なんてバカでもなれる」

 

 

 

私の決意とは裏腹に

様々な言葉を浴びせられました。

 

 

 

でも負けたくなかった。

いつか絶対見返すんだ

その思いだけで勉強を始めました。

 

 

 

元々勉強は好きだったので

すんなり入ることが出来ました。

 

 

 

ただ勉強に行き詰った時は

辛かったです。

 

 

 

誰も教えてくれない。

誰も助けてくれない。

私なりに頑張っているのに思うように進まない。

 

 

 

焦りと不安でいっぱいでした。

 

 

 

何度も諦めかけましたが

ここで止めたら何もかも終わると思い

自分を奮い立たせていました。

 

 

試験当日は不安で

泣きそうになりながら会場に向かいました。

 

 

 

今でも昨日のことのように覚えています。

 

 

 

信じられるのは自分だけ。

今まで費やしてきた時間と努力。

それが全てでした。

 

 

 

そんな日々を乗り越えて

掴んだ合格でした。

 

 

自分の力だけで結果を出したことは

想像以上に自分の自信になりました。

 

 

 

今まで何もなかった自分が

初めて認めてもらえたと思えた瞬間でした。

 

 

 

ずっとカーテンを閉め切り

部屋の中で

うずくまっていた私でしたが

 

 

 

カーテンを開けて

光を浴びても良いこと

私はまだこれからだということ

 

 

 

それを自分で証明出来ました。

 

 

 

自分に出来なかったことが出来るという事

自分の力で何か成し遂げるという事は

 

 

 

180度見える景色が変わります。

 

 

 

何かに挑戦することは怖いです。

リスクを伴うものほど恐れるものです。

 

 

 

失敗したらどうしよう。

笑われたらどうしよう。

 

 

 

それなら止めておこう。

 

 

 

もし当時の私が

そう思っていたら

100%今の私はいないでしょう。

 

 

 

あの時、諦めないでいてくれて

ありがとう。

 

 

 

当時の自分に

そう言ってあげたいです。

 

 

私自身が

変われたからこそ

もっと多くの人に味わって欲しい。

 

 

 

自分の勇気ある1歩で

どれだけ景色が変わるか知って欲しい。

 

 

「どうせ私なんて無理」

 

 

 

そう下を向いて

諦めていることに慣れてしまった人達を

連れ出してあげたい。

 

 

その力が

私にあるのなら

私は全力で支えたい。

 

 

 

私が身をもって経験してきたからこそ

そう強く思います。

 

 

自分が自分の可能性を諦めない限り

いつだって扉は開きます。

 

 

自分の可能性を諦めていませんか?

 

 

「私にも出来る」

そう思える人を増やす

 

 

 

それが私の使命だと

信じています。

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