おはようございます。
資格取得講師の倉まり子です。
あなたの
人生のターニングポイントは
いつですか?
今回は
私自身の人生のターニングポイント
についてお伝えしていきます。
高校1年生の冬
1番最初のターニングポイントは
高校1年生の冬です。
わたしには姉が1人います。
両親は姉が医師になる事を
期待していました。
姉自身
その期待に応えようと
理系に進み勉学に励んでいました。
高2からの文理選択をする高1の冬
私は親から
こう言われました。
「お姉ちゃんが医師になるのだから
あなたは、それを助ける仕事をしなさい」
高校1年生の時の私は
漠然と自分は医療関係に進むのだと
考えていました。
当時見ていた
ドラマ「救命病棟24時」を見ては
私も、あんな風になるのかな
カッコ良いな
と思っていました。
そのため、文理選択の時は
何の迷いもなく
「理系」に〇を付けていました。
自分は医療系に進むんだ
そう呪文のように
自分に言い聞かせていた日々。
私は姉と同じ部屋を使っていて
姉の様子を
よく見ていました。
姉は本当に毎日
頑張っていましたが
私の目には、大変そうに見えました。
そこで再度
自分の人生について
考えました。
私は幼稚園から高校まで
エスカレーターで進み
親の敷いたレールの上を歩いていました。
自分で望んで入った学校ではなく
気づいたらいた、と感じる
学生生活を送る中で
これからも
私はレールの上を
歩き続けるのだろうか
そう思うと
私自身は、それは嫌だと思いました。
そろそろ
降りたいな、と。
そこで私は思い切って
文系に変えました。
それは
最後の文理選択の〆切前日
でした。
「文系に行っても仕事はないよ」
「何で文系なの?」
色々な言葉を言われました。
担任からも驚かれ
何度も文系で本当に良いのか
確認をされたのを覚えています。
初めて私自身
自分の意志で
自分の未来を決めた瞬間でした。
無職時代
次のターニングポイントは
大学卒業時の無職時代です。
初めてのどん底を味わい
自分の人生を恨んでいました。
受けるところ受けるところ
ものの見事に落ち続け
自分の生きる意味を考えた時期でもありました。
あの時は
本当に辛かったですが
この経験があったからこそ
今の私がいるのだと実感しています。
この経験がなければ
今の私は
確実にいません。
あの時の自分に
人生を諦めないでいてくれて
ありがとう、と言いたいです。
保育士受験
3つ目のターニングポイントは
保育士受験でしょう。
今の仕事にも
繋がることになる出来事です。
保育士になる
と決めた時も
中々の逆風にあいました。
独自で勉強法を生み出し
ただ無我夢中で勉強した時期です。
自分自身を鼓舞し続け
自分なら出来る
そう励ますしかなかった日々でした。
無職から、保育士に受かるまでの間は
本当に夜道をずっと歩いている
そんな状態でした。
毎日膝を抱えてうずくまり
死ぬことばかりを考えていた22歳。
この状態から脱却しようと始めた
保育士の独学での勉強も
思うように上手くいかない日々。
自分の精神状態を
極限まで追い込み
孤独な戦いをしていた23歳。
震える足で試験会場に向かい
ただ己自身を信じ続けた24歳。
合格通知を受け取った時には
涙が止まりませんでした。
今まで自分は必要とされていない
と感じていた私が
初めて誰かに認められた
そう思えた瞬間でした。
独立を決めた時
最後のターニングポイントは
今から2年前の冬。
私はこのまま
ずっと保育士を続けていくのだろう
と漠然と感じていた時
父から1本の電話がかかってきました。
「いつまでそこにおるんや」
その一言で目が覚めました。
私の父は経営者で
父自身、自分で資格を独学で取得し
独立した人です。
幼い頃から父から
「雇われる側ではなく雇う側になるんだよ」
「まり子は、経営者になるんだ」
そう言われ続けていましたが
自分に何が出来るかもわからず
そんな責任を背負いたくない
と思う自分もいたため
なぁなぁで過ごしていました。
しかし父の一言のお陰で
自分の人生を見つめ直した時
保育士の道から
外れようと決めました。
自分に何が出来るかも
分からないまま退職届を提出していました。
自分で言うのも変ですが
私は、こうと決めた時の行動力は
誰にも負けないと思っています。
今まで「辞める」と言っていなかった私が
突然、退職届を出したことに
周りは驚いていました。
7年間従事した保育業界を離れることは
少し寂しい思いもしましたが
十分多くの経験をしてきたため
それを活かして次のステップに進みたい
と思い、決断しました。
そこで某アプリに登録し
人脈作りを始め
今の仕事の土台を
一緒に作ってくださった方と出会い
今の私がいます。
人生の中で出会う人
というのは偶然ではなく必然だ
と最近思います。
自分が必要としている時に
必要な人を引き合わせてくれる
縁という言葉を
よく耳にしますが
本当にその通りだと実感します。
まとめ
こうやって振り返ると
自分の人生の中で
ターニングポイントは
いくつかあります。
なぜこの話をしようと
思ったかですが
先日、ある方から
「まり子さんの人生のターニングポイントは
いつですか?」
と聞かれたことがきっかけです。
ターニングポイント。
それは、人生の中で
誰しもがあるものです。
私は最初の高校1年生の冬の時
自分の人生の舵を
初めて自分で切った時でした。
人生は
自分で切り拓いていくものです。
運命・宿命
そんな言葉がありますが
そんなものは
自分の手で
いくらでも変えることが出来ます。
高校1年生の私のように
自分の人生を自分で決めることは
時に勇気が必要なこともあるでしょう。
逆風にあうことも
あるかもしれません。
確かに誰かに決めてもらうことは
とても楽です。
自分は何も考えなくても良い
言われた通りに動いていれば
責任だって取らなくて良いのだから。
あの人が
あの時こう言ったから
この人が
あの時、あぁしろって
言ったから
そうやって生きていくのも
1つの生き方なのかもしれません。
ただ私は
自分自身に言い訳をしたくない
それだけです。
自分で決めたことは
誰が何と言おうと
やり遂げたい。
逃げたい時もあります。
止めたい時がない、と言ったら
嘘になるかもしれません。
それでも歩き続けるのは
自分で決めたことだから。
生半可な気持ちで
始めたことではないから。
きっと待ってくれている人がいると
信じているから。
だから私は
時には止まっても
また歩き始めることが出来ます。
自分で決めるという事は
その決断の責任を自分で負う
ということです。
それが怖いと感じることも
あるでしょう。
だから最初から
決断しない人もいるのかもしれません。
ただ私は
勇気ある決断をした人は
背負う覚悟が
大きいければ大きいほど
それを成し遂げる力があると思っています。
資格を取る
というのは
そんなに大々的な決断では
ないのかもしれません。
人生を変える
というのも大げさなのかもしれません。
それでも
今の自分から1歩前に出る
ということに変わりはありません。
私のターニングポイントが
いくつかあったように
資格を取る
という決断をした時が
もしかしたら
あなたのターニングポイントの1つに
なるかもしれません。
人生を大きく左右する出来事
というのは
そう多くはありません。
あの時、頑張っていて良かった
あの時、自分で決めて良かった
振り返った時に
そう思える瞬間があれば
自分の人生が
自分自身が誇らしく感じるはずです。
あの時
あぁしておけば良かった
あの時
こう言っておけば良かった
そうやって後悔をしないために
自分の人生に
自分の決断に責任を持ち
今後も歩いていきます。
「自分の」人生ですから。
舵をとるのは「自分」です。
あなたは
「自分」で舵をとっていますか?
誰かに渡していませんか?
誰の人生を
歩んでいますか?
大きい決断が怖いのなら
小さな決断から
自分でしていく。
その繰り返しで人は
少しずつ
「自分」を生きていくのかもしれません。
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